Talk about 7 能登比佐子

戦友として〜 能登比佐子

 上村一夫、山村雅昭、そして岡村昭和の三人を称して「三村」と呼ばれていた時代があった。上村一夫さんは、劇画作品『同棲時代』で一世を風靡し、山村雅昭さんは、南国の花の幽艶な写真を撮りつづけた写真家、岡村昭和は、グラフィック・デザイナーとして数々の賞を取っていた時代だ。アドバタイズ設立後の岡村と初めて会ったのは、上村一夫さんとその会社を訪ねたときだった。黒のTシャツに黒のパンツといういでたちの岡村は、小脇に作品を抱え、これからクライアントのところへ行くからと言ってさっさと出ていってしまった。なんて無愛想な人なのかというのが第一印象だった。その当時のクリエイターはそんなものなのかとも思った。その後しばらくブランクがあったが、上村さんが病に倒れた後、あっという間に天国へ行ってしまったときに再会する。岡村と会わせてくれたのも、再会させてくれたのも上村一夫さんだった。

 「昭和の絵師」と呼ばれていた上村さんは、一枚絵の美人画などもたくさん残していた。その画集を創るために、新しい会社・アドバタイズコミュニケーションを岡村と二人で作ったのだが、完成半ばでご遺族との間で版権問題で食い違いがあり、画集は残念ながら実現することはできなかった。次に山村さんの写真集『花狩』を創ることになっていたが、上村さんが逝ってしまった翌年に、山村さんも花たちに呼ばれたかのごとく、突然命を絶ってしまったのだ。お互いに刺激しあっていた二人を相次いで失った岡村は、しばらく憔悴しきって言葉のかけようもなかった。山村さんの新盆を迎えたころ、会社の一室に立てこもり、『精霊流し』を歌いながら山村さんの写真を何回もトレースしていた岡村の姿が忘れられない。
 上村さん、山村さんの二人に影響を受けていた岡村が画家としての創作活動を始めたのは、恐らく「昭和の絵師」と言われた上村作品の流れるような描線と、山村さんが撮りつづけていた南国の花をモチーフにした幽艶な写真作品へのオマージュを表したかったというのがきっかけだったのではないだろうか。

 幼少期に絵描きになりたいと思っていたという岡村の才能は、二人を失ったことがきっかけになったように開花し、面白いように切り絵の作品ができあがっていった。そうなると作家としての発表の場が欲しくなるのが常で、日本の画壇に基盤のない岡村は、ニューヨークに新天地を求めることになったのだった。

 1998年、New YorkのSOHO、MONTSERRAT Galleryにて第一回目の岡村昭和個展を開催。すべてが初めてのことで、画廊との連絡やカタログ、ポスター、広告などの制作に追われ、一年があっという間に過ぎて、開催の運びとなった。個展にはニューヨーカーたちが期待以上に足を運んでくれた。そんなある日、年配のアメリカ男性が切り絵を見ながら「アメージング」とつぶやいた。それを聞いていた岡村は「イエス、メーイジン、メーイジン」とつぶやき返して、しばらくの間、二人が言葉の壁を超えたコミュニケーションを楽しんでいたシーンが蘇る。
 アートに国境はない。その後、ベルギーから「この作家は油絵を描くのか?」との問い合わせがあり、それまで油絵は作品として描いていなかったのだが、つい「描いています」と先方の学芸員の問いに答えてしまった。このことが発端となって、油絵を描きはじめることになったのだった。そんな経緯で、翌年、油絵数点と切り絵のふたつのジャンルでインターナショナルアート展に参加。New Yorkでは4回、フィンランドで1回の個展を開催することになる。
 画家・岡村昭和の中には、優しさと冷徹さが同居しており、そうした感性が新たな何物かへと越境してゆくときに、岡村の世界が現出されてくるのか。触ると 壊れてしまいそうな繊細な線、男と女の手の交わりの柔らかな流線、美しすぎるフォルム、それらの先に新しい岡村の世界が生まれてくるような気がしている。

 公私ともにパートナーとして、また戦友として身近で見てきたが、上村・山村の二人を超えようともがいてきた岡村は、超えることができたのだろうか? 昔、上村さんに「サムシングがないとだめなのだ!」といつも話していたものだが、そのサムシングは見つかったのだろうか?

作品能登比佐子(ノト・ヒサコ)
■ CA(客室乗務員)を卒業後、ヨーロッパに一年ほど遊学。主に美術館巡りなどをする。帰国後、上村一夫事務所で編集者との打ち合わせ調整やスケジュール管理などを行う。1989年に岡村昭和と編集・出版の新会社アドバタイズコミュニケーションを設立。山村雅昭写真集『花狩』、郷津雅夫写真集『New York』の制作に携わり、NY、Finlandでの岡村昭和個展などの企画進行なども行う。松岡正剛イシス編集学校に入学し、編集を勉強。東京都写真美術館内の「TPOフォトスクールステップアップ講座」にて写真の基本概念を学習(13期生)。フォトスクールで与えられたテーマ「築地のおばちゃん」を中心に、築地界隈で撮った人物写真を集めた写真集『築地界隈・Tsukiji Vicinity』を2013年に刊行。同時にNY Montserrat Galleryなどのグループ展に参加。2004年よりフィンエアー(フィンランド航空)の情報誌『Lumi&Matka』の編集長を務める。10年以上撮りつづけているフィンランドの写真をまとめた写真集を刊行する予定。現在、岡村昭和とともに熱海・伊豆山のアトリエで作品を制作中。